空へ舞い上がりたいvs大地を踏みしめたい
クラシックバレエの追いもとめているのは〈重力からの解放〉なのだそうです。
〈空へ舞い上がりたい〉という願いがクラシックバレエのハートの奥にはひそんでいて、そのために、クラシックバレエ独特の、あの軽やかな身体表現が生まれたのだと考えられています。
まるで大地を踏みしめることを拒んでいるかのような……。
わたしの場合、いまだに、夜に見る夢のなかで、空へ舞いあがろうとすることはしょっちゅうですけれども、その願いがかなえられることはめったにありません。
ルネサンス時代のレオナルド・ダ・ヴィンチが多く残している飛行機械(Flying Machine)のスケッチにも、風に浮いた鳥たちをながめながら、飛ぶことにあこがれた若者の夢がこめられています。
同じように、自分の体を、内からも外からも自由自在にコントロールすることをめざしてきたダンサーたちが、鳥になりたい、という夢を抱かなかったはずがありません。
YouTube で『4羽の白鳥たちの踊り』や永久メイ(May Nagahisa)の重力を感じさせないシャープでしかもエレガントな踊りをごらんなったら、すぐにおわかりになるとおもいます。
もともと、バレリーナの方たちにとって、ステージとの接地面積といえば、トーシューズをはいて、つま先立ち(ポアント)したときの広さしかありません。
猫の額のほうがうんと広いくらいです。
しかも、つま先立ちで、フラミンゴやいそしぎ(sandpiper)のように優美で軽やかで敏捷(びんしょう)な足取りで歩きまわったり跳びはねたりしなければいけないのですから、心身ともにたいへん過酷(かこく)な修練を積まなければいけない芸術のひとつです。
跳び上がったときの滞空時間の長さを褒(ほ)めたたえるのもクラシックバレエならではだとおもいます。
スキーのジャンプで滞空時間が注目されるのは、あくまでもその長さが飛距離に関係してくるからでしょうし……。
鳥は卵から抜け出ようとする……
たしか1988年の秋ころだったようにおもいますが、ぐうぜんにも、伝説的なバレエダンサー(バレリーノ)のルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)といっしょにお仕事をなさっていたロバート・トレイシー(Robert Tracy)という方と会話をかわす機会をもてました。
シカゴ大学のシェルバーン学生寮から5分ほど歩いたところにあった和食レストランのカウンター席でのことでした。
お寿司をいただいているときに、となりに腰かけていた彼のほうから話しかけてこられたのです。
知的でシリアスなふんいきをまとったハンサムな方でした。
きっかけはおぼえていません。
ヌレエフの友人でありプロデューサーであり振付師であり、また恋人でもあった(これは後年わかったことです)ロバート・トレイシーさんは、40分近く、さまざまな話題にふれながら、わたしのつたない英語にも忍耐強くつきあってくださいました。
その会話のなかで、とくに鮮やかに記憶に残っていることばがあります。
「ヌレエフはいつもぼくにこんなことを言うんですよ。『昨日までの自分は、あの真っ黒なビニールの死体収納袋に閉じこめられているのと同じさ。その袋を内側から突き破って外へ出なければ今日の自分はいないんだ。毎日、毎日、技術に磨きをかけ、毎日、毎日、新しい自分をつくりだすことに挑戦しなければ、そもそもバレエを踊る意味なんてないさ』だってね。真っ黒な死体収納袋のなかで、もがき苦しみつつ、手や足や胴体を曲げたりひねったり伸ばしたりすることで、なんとかそのビニール袋を突き破って外へ出ようとするイメージを浮かべてほしいんです。それがぼくの知っているヌレエフなんです」
そのエピソードを耳にしたとき、ヘルマン・ヘッセが『デミアン』という作品のなかに残した、あの有名なことばを思い出してしまいました。
「鳥は卵からむりやり抜け出ようとする。その卵は世界だ。生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊しなければいけない」
理性の踊りvs情念の踊り
ところで、クラシックバレエ界の異端児というラベルを貼られ、不良青年っぽいタトゥー(Tattoo)で裸身を飾っているセルゲイ・ポルニン(Sergei Polunin)も、彼の踊り方そのものは、クラシックバレエが抱いてきた願いにあふれています。
つまり〈重力からの脱出〉をなしとげたい、といった野望に満ちあふれているのです。
そして、欧米人に特徴的な手足の長さをフルに活用したテクニックも、伝統的なバレエからそれほど隔たったものには見えません。
それとは対照的に、舞踏(Butoh)がめざしているのは〈重力との対話〉だと考えられているようです。
じっさい、クラシックバレエが大地からの飛翔を夢見てきたのとは逆に、日本が生み出した舞踏(Butoh)は、〈大地への回帰〉とも言えるような動作が多く使われています。
つま先立ちどころか、足裏をべったりとステージにおしつけ、腰を低めて、ガニ股になり、田植えや盆踊りの動作をとりいれたりもしています。
満足に歩くことすらできないような奇形的な身体表現を使うことで、羊水(ようすい)のなかでもがいている胎児を連想させることもありますし、両手の指をワシやハゲタカの鉤爪(かぎづめ)のように折り曲げたり、浮世絵師の写楽が描いた役者絵のような手指を表現したりすることで、西洋のクラシックバレエとはまるでちがう独創的な世界をつくりだしています。
日本人の体型的特徴と欧米人とは異なる筋肉の使い方をフルに活用している踊りであることはたしかでしょう。
ただ、西洋の古典的バレエの様式を〈意識的〉にしりぞけて、足裏をべったりとフロアにつけて踊るバレエは、20世紀初頭にもありました。
1912年にパリで初演されたドビュッシーの作曲による『牧神の午後への前奏曲』にヴァーツラフ・ニジンスキー(Vaslav Nijinsky)がふりつけしたバレエがそうでした。
いちど見たら忘れることのできない両手のポーズは、まるで古代エジプトの壁画をながめているかのようです。
しかも、ダンサーは舞台にべったりと足裏をくっつけ、まるで2次元という平面の世界にとじこめられてしまったかのように、左右にだけ移動し、横顔は見せますが、舞台正面の観客席を向くことはしません。
画期的というよりも、ほとんど革命的だったとおもいます。
そのことだけでも驚くべきことだったのに、おしまいには、ニンフの落としたヴェールを股間にあてがいながら、あきらかに自慰行為(マスターベーション)だとわかる演技で幕を閉じるという展開に、当時は、拍手にまじってブーインングも起こったようです。
作曲家ドビュッシーと古典的バレエの両方にたいする冒涜(ぼうとく)だ、と批判されてもしかたのないほど、当時ではほんとうに革新的なバレエだったのにちがいありません。
この『牧神の午後……』がモダンダンスの元祖だと言われているそうですが、おなじくモダンダンスの創始者と呼ばれ、映画『裸足のイサドラ』でわたしたち一般人にも知られるようになったイサドラ・ダンカン(米語での発音はアイサドラ・ダンカンに聞こえます)は、ニジンスキーのパリ公演よりも12年も前の1900年に新たな世紀のための新たなダンスを披露(ひろう)しています。
裸足で踊ることで、自然とひとつになる、つまり大地とひとつになる、という考えをもって新しい時代のダンスをつくりあげた強い意志と勇気をもちつづけた女性です。
これにくらべたら、1980年代にマドンナが何十万人という観客の前で披露(ひろう)した女性のオナニーのシミュレーション演技は、時代というものを考慮にいれると、それほど衝撃的(sensational)とは言えなかったのかもしれません。
ただ、その演技のせいで、あやうく逮捕されるところだったという彼女の勇気(bravery)のほうが、はるかに衝撃的(thrilling)だったことはたしかですけれど……。
話をもとにもどしますと、クラシックバレエは理論的な理性によって成りたっているもので、反対に、日本の舞踏は情念による踊りだとも言われています。
でも、クラシックバレエも舞踏も、ヒトが日々の生活のなかで習得(しゅうとく)してきた所作(しょさ)やマナーを、それぞれ独自の方法でとりいれている、ということには変わりがないとおもいます。
もちろん、一方には、ダンスと同じように、古代からの長い歴史をもつ演劇がありますので、生活のなかで自然に身につけた動作をそのまま舞台で使うのはためらわれたのかもしれません。
あるときは象徴的に、あるときは抽象的なまでに、さまざまな動作を純化して踊りに取りいれながら、演劇とのいっそうの差別化を図ったのではないかとおもわれます。
とは言っても、もともと踊りは、祭りごとや政りごと、つまり祭儀(さいぎ)や政治とは切っても切り離せないものです。
祭儀、もしくは祭りごと(政りごと)とダンス
オリンピックの開会式や閉会式でもそうですし、アメリカンフットボールにおけるチアリーダーたちの役割、また、さまざまなパレードや運動会におけるバトンガールの存在でもおわかりのように、〈まつりごと〉(祭りごと/政りごと)には神さまや統治者の前で踊りを披露する人たちが必要になります。
祭儀は、ある共同体の理性と情念を共有するための場所と時間を提供するものですし、天と地とをつなぐためのものでもあります。
かんたんに言ってしまえば、支配する者たちの〈気を引く〉ためのものでもあります。
一滴も雨を降らせてくれない神さまの気をひいて、なんとか雨を降らせてもらおうと願うときにも、ヒトはダンサーを必要としますし、踊りを利用してきました。
つまり、舞踊とは、それぞれの集落の、または村々の、もしくは国々が抱いている信仰というものとも深くつながっているものでしょう。
みなさんもご存知のように、盆踊りと神社は切っても切り離せないものですし……。
そういう祭儀において、ある共同体がいだいている願いや悲しみや痛みや苦しみや歓びを、身体の動作によって、なんとか表現しようとした〈努力のたまもの〉が踊りなのではないかとおもいます。
それだけに演劇にくらべるとよりいっそう抽象的なものだと言えるかもしれません。
文学でいう詩が舞踊だとすれば、散文は演劇といってもいいのかもしれませんね。
ただ、クラシックバレエと舞踏では、願いを表現するときのプロセスにちがいがあるだけなのかもしれません。
すこし乱暴な言い方かもしれませんけれども、〈芸術〉と呼ばれているものは、絵画にしても彫刻にしても音楽にしても映画(芸術と言えるのかどうかわかりませんけれど)にしても、時間と空間にたいしてどのような身の処し方をするのか、また、作品のなかの時間と空間をどのように処理するのか、という問いと答えにつきるような気がしています。
ですから、あまり〈西洋的な理性vs日本的な情念〉という比較そのものには興味をひかれません。
もともと知性とか情念とか意志というものに国境はないとおもいます。
「ある国民だけが持つユニークな特質」というたぐいの話がはじまると、なぜか体がかたくなってしまいます。
身がまえてしまうのです。
ひとりびとり、ヒトはそれぞれちがうもの(Individual Difference)だとおもっているからです。
それが国ともなれば、たいへんな数のヒトで出来上がっているわけですから、たとえば、パリで生まれ育った方が考えるパリジャン的なエスプリを、大阪の下町で育った日本人の知り合いのなかに発見したり、日本で育ったわたしたちが感じる義理人情を、アメリカの片田舎で知りあったアメリカ人のなかに見出したり、それはさまざま起こりえることだとおもいます。
アメリカ人はこうだ、とか、フランス人はこうだ、とか、おへそにピアスが光っている女の子はこうだ、とか、アニメ好きの40代の男性はこうだ、というふうに、ある個人の好みでしかないものを、そのままそのグループ全体の特徴としてひとくくりにするときには(overgeneralization)、ただそうするほうが簡単でわかりやすくて深く考えることもいらないから、という〈ナマケモノの効率論〉が働いているのかもしれません。
でも、そんな比較論はひとまずクローゼットにしまっておきましょう。
それよりも、伝統的クラシックバレエと舞踏をひとつに融合(Fusion)させ、しかも新たな様式を体系的にそなえた舞踊(ぶよう)をつくりだすひとがあらわれるのを、わたしは心からたのしみにしています。
❤️この記事は『クラシックバレエと舞踏(Butoh)とストリートダンス | Part 4』(2022年8月21日公開)からの抜粋(ばっすい)です。
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