太平洋戦争で戦った父の友人の腕には銃弾が埋まったままでした。
食事をしているときに思い出すことがあります。
父の友人は南方で戦った方ですが、右腕の腋(わき)の近くに銃弾が埋まっていて、手術をして取り出すのにはさまざま理由から危険だということで、なかなか思いどおりにうごかすことができず、お箸をもつときなど、いつもかならず左手を右腕のひじの下にあてがって、箸をもつ腕をささえつつ、ゆっくりと注意深く召しあがっていました。
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孫武(Sun Tzu)という武将がいました。
軍事思想家としての彼が紀元前490年代のころに書いたとされる『孫子』は兵法の書です。とくに戦略論を学ぶ方たちには必読書だといわれています。みなさんもよく耳にされるアメリカの陸軍士官学校『ウェストポイント』でも必須授業の教科書としてあつかわれています。
けれども「戦争」そのものは、もちろんチェスではありません。囲碁でも将棋でもありません。
暴力以外のなにものでもないからです。
戦略論は、勝利を夢見る将軍たちと、さらなる昇進を夢見る幹部たち、そして政治家とメディアを動かして彼らに軍事費を供給することで巨額のボーナスを得る夢を見ているエリートの方たちには役に立つものかもしれませんけれど、戦場という過酷な「現場」で、彼らの作りあげた戦略にのっとった命令に従って、じっさいに殺し合いをしなければいけない兵士の方たちにしてみれば、たいていの場合、絵に描いたお餅(もち)みたいなものではないでしょうか。
ベトナム戦争以降、とくに21世紀になってからは、ミサイルやドローンを使った「空爆」と最新兵器に身をかためた歩兵による「市街戦」が主流になっているということですので、戦略論の中心は、メディアによる情報操作(プロパガンダ)と心理作戦、および誘導作戦などをつかい、軍需産業に利益をもたらすための紛争や局地戦はつづけながらも、それが全面戦争に拡大しないようにコントロールするための『エスカレーション・マネージメント』が重要になってきているのです、とアメリカ国防総省のシニアーアドバイザーをつとめ、トランプ大統領の顧問でもあった米軍の退役大佐ダグラス・マクレガー(Colonel Douglas Macgregor)が述べています。
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亡くなった母が空襲についてこんなことを話していました。
B-29には手も足も出なかった。こちらの戦闘機がとどかないような高さを飛んで、とんでもない数の爆弾を積んで、遠くから編隊になっておしよせてくるものだから、もうどうしようもなくてね。
空襲警報が鳴りひびくと体がブルブルふるえてとまらなかったわ。指先までこんなふうにワナワナふるえつづけるの。
サーチライトに照らされたジュラルミン製の機体が光ってて、そのお腹から、ほんとうにパラパラと焼夷弾がこぼれおちてきた。
1トン爆弾ていうのもあって、それがひとつ落ちると、町内のひと区画が全滅するくらいのすごさでね。
ひゅーって音につづいて、しゅるしゅるしゅる、て空気を裂くような音がして、落ちてきたとたん、ドーン、てね、もう、それはそれはとんでもない衝撃が伝わってきたわ。
地面や壁がブルブルふるえてね。
それが次から次へとキリがなくつづいて、もう、この世の終わりみたいな恐ろしさだった。
ドーン、ドォーン、ドーン、ドドォーン、ドン・ドドドォーンて、みるみる近づいてくるの。
たちまち街が真っ赤な火の海になって、家とかビルとかがくずれる音がそれにつづいて、ほんとうに生きた心地がしなかった。
地面にふせるときは、耳をふさぐだけじゃなくて、口を大きくあんぐりあけていないといけないのよ。
爆風(ばくふう)のせいで鼓膜が破れてしまうからね。
それに、地面にべったりと体をのばして腹ばいになると内臓をやられてしまうから、腕をすこし曲げて、足もすこし曲げて、ひじとひざで支えるようにして衝撃に耐えろ、って言われていたから、その通りにしていたわ。
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ヘミングウェイは数多くの戦争を体験した作家でした。
たしかヘミングウェイが次のようなことばを残していた気がします。
原文を参照にしながら翻訳したものではなくて、わたしの記憶にきざまれている英文を意訳したものですから、小説に書かれていたことばとエッセイに述べられていたことばがまじりあっているかもしれません。
「人を殺すにはなんらかのたいそうな理由づけがいる。自由のためだ、とか、民主主義のためだとか、母国のためだとか、愛する人のためだとか。でも、戦争が正当化されるなんて、ぜったいに思わないほうがいい。いかに正当化されたとしても、戦争は『悪』なんだ。犯罪であることにはなんの変わりもないんだ。歩兵と死者に聞いてみればいい。そして、近代の戦争において、人は、いつも、犬のように死ぬ。地面にたおれて、雨に打たれて、意味もなく、たんなる肉のかたまりになって死ぬ。そこにはなんの尊厳もなければ、なんの美しさも栄光もないんだ」
「きみは、戦争に行く前は、自分は無敵で、自分だけは死ぬはずがない、とおもってるんだろうけど、長く戦場にいると、きみも、そのうちかならず死ぬだろう」
「ぼくは、いつも、神聖なるものだとか、栄光だとか、犠牲なんていうことばを耳にするたびに、気恥ずかしくなった。ときには、雨のなかで、そういうことばがこの耳にとどかないくらい離れた場所にたたずんでいても、だれかがそういうことばを叫んでいるのが耳にはいってきたし、また、そういうことばが書かれた布告を目にしたこともある。でも、ぼくは、ここ長いこと、どこにも神聖なものなんてないし、栄光だとおもわれてたものに栄光なんてないし、犠牲者なんてのは、シカゴの屠殺場で、埋めてしまう以外には、どうしようもあつかいようのない肉のかたまりみたいなものでしかないってことを、この目で見てきたんだ。ほとんど耳にするのもガマンできないことばがたくさんあって、けっきょく、おしまいには、地名とかに尊厳をおぼえるようになった。特定の数字もそうだった。特定の日付もそうだった。ある特定の数字とか日付とか地名だけに意味があると感じられたんだ。栄光、名誉、勇気、または神聖なんていう抽象的なことばなんて、村の具体的な名前、道路の番号、川の名前、連隊番号、そして日付などのとなりにおくと、下品におもえたんだ」
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亡くなった父が言っていました。
兵士たちのモラルが乱れて士気が下がっている、なんて批判を、ヒトを殺す役目を担っている彼らに投げつけたってなんの意味もありはしない。それが「戦争」というものなのだからね。
自分がどう感じているかなんてひとことも言えないのが戦場だし兵士というものなのだ。
自分の感情なんてまったく無意味だということがわかっているからだよ。
「汝、殺すなかれ」なんていってたら自分が殺されてしまう。そんな場所で戦っている兵士たちにモラルを要求するなんて、いったいどっちのモラルが乱れているのかわかったものじゃない。
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戦争はけっきょく腕っぷしの強さがすべて?
大昔、戦争は、腕っぷしというか「腕力」がすべてだったのでしょう。スタンリー・キューブリック監督のあまりにも有名な映画『2001年宇宙の旅』のはじまりに登場する類人猿や、アメリカの大学で文化人類学を受けると、たいてい授業で見せられることになる映画『人類創世』(Quest for Fire)でもおなじみのように、骨と石をにぎる者の腕力の強さが勝敗と生死を分かつことになったのだとおもいます。
そして剣や盾などを使って戦うようになってからは腕力だけではなくて技(わざ)というものも必要になってきたのでしょう。
さらに近代戦争になってからは大砲や鉄砲などの「火力」の差が勝敗と生死を分けるようになってきたのでしょうし、それにつれて、日々、進歩しつづける武器をあつかう技術と、それを教えるための組織も必要になってきました。
軍隊という組織がどんどん大きくなり、組織の内部構造と命令系統が複雑になってきたのには、そういう歴史の必然が働いているのだとおもいます。
でも、その歴史の底を流れているのは、あくまでもヒトを殺すための「腕力」と「気力」を養って、さまざまな「暴力」をふるう方法を学ぶということなのでしょう。
それはたぶん古代からなにも変わっていないのだとおもいます。
いったん戦争がはじまったら、それに反対する作家や詩人や知識人や宗教家や思想家や人道主義者たちはひとたまりもありません。
たとえば、1960年代から80年代にいたる中南米と南米諸国で、どのくらいの数の作家や詩人やジャーナリストが連行されて拷問されて殺害されたのかをお調べになったら、たちまちおわかりになるとおもいます。
ナチス(Nazis)の支配下にあった第二次世界大戦時のドイツのように、一国の政治がたったひとつの政党によって支配されているようなパルタイ国家(One-party state)だと、とうぜんシオニズム(Zionism)を旗印とする現在のイスラエルや、ロシアーウクライナ戦争がはじまる直前まで、国際連合(UN)や欧州連合(EU)加盟国だけではなく、米国の中央情報局などによっても「世界でもっとも堕落した汚職にまみれた政治家たちによって統治されている国」(the most corrupt country and government)とみなされていたウクライナのように、言論および思想統制が敷かれ、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)がおこなわれ、国を統治している側が作りあげたナラティブ(彼らの考え方やその政策手段と目標についての理由づけ)に反するようなことを言ったり書いたりしたひとびとは、職を奪われたり、なんら合法的な理由もないのに投獄されたり、拷問をされたり、悪くすれば処刑されてしまいます。
つまり、いったん戦争がはじまったら、国内においても、武器を手にしているひとたち、つまり、その国の司法権と警察権をにぎっているひとたちには逆らえなくなることを、歴史は教えてくれます。
みずからの生活を捨て命を捨てるほどの覚悟がなければ。
有無を言わさない理不尽な「腕力」による暴力。
これこそが戦争の素顔なのだとおもいます。
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悪魔のような人間とは?
戦争は人間のもっとも汚らしく恐ろしい負の部分が最大限に増幅された状況を生み出す「地獄」なのだとおもいます。
ある主義や宗教を信じている者たちや、もしくは、ある特定の民族は「人間以下」の存在であって、「害虫」や「ゴミ」みたいなものだという考えが国の統治者たちによってひろめられ、それが権力機関によっても認められたとき、わたしたちヒトはどのくらいその「人間以下」とみなされたひとびとにたいして残虐になれるのでしょうか。
そして、平和な時代につちかわれた価値観がすべて崩壊してしまったような戦時下の社会では、ヤクザまがいの人間たちと、精神を病んだ兵士たちと、他者へのおもいやり(empathy)が欠如しているサイコパスのような殺人鬼たちが、もっとも崇められ、頼られ、祭りあげられるということは、1960年代にインドネシアで起こった大虐殺の首謀者へのインタビューをこころみたドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(The Act of Killing)をごらんになったら納得できるとおもいます。
虐殺の再演、とでもいえる方法によって戦争の「罪と罰」を描いたこのドキュメンタリーは、連続殺人魔といわれる人物や、ナチズムの吹き荒れたドイツで大勢のユダヤ人をガス室へ送ったアウシュビッツの看守たちが、わたしたちとなんら変わることのないフツーの人たちなのだということを教えてくれます。
ふだんは優しい父親であり、ユーモアたっぷりの夫であり、母親思いの息子であったりする人物が、身の毛もよだつような残虐なことをあたりまえのようにする、という奇怪な人間心理の闇に注目したのは、政治哲学者で思想家であり、シカゴ大学で教えていたこともあるハンナ・アーレントでした。
第二次世界大戦中、強制収容所をつくったナチス・ドイツが、ユダヤ人やジプシーやポーランド人やロシア人の囚人や捕虜にたいしておこなった残虐な行為は、たとえ犠牲者の総数については異論のある方たちがいたとしても、歴史的な事実であることに変わりはありません。
その残虐さの頂点ともいえるのがアウシュビッツ強制収容所(所長はルドルフ・ヘス)だったのですけれど、そこへ囚人を大量移送する仕事にかかわった親衛隊(元はナチスの秘密国家警察)で中佐をしていたアドルフ・アイヒマンは、戦後アルゼンチンへ逃れて身を隠していました。
けれど後年イスラエル諜報特務庁(モサド)によって捕まり、イスラエルに連行され、戦争犯罪人として裁判にかけられました。
その裁判を取材したハンナ・アーレントはある奇妙なことに気がつきます。
彼らは「悪魔のような人間」ではなく、ただ上からの命令に盲目的に従った(つまりコンプライアンスを守った)だけなのだ。そして官僚主義とピラミッド型の組織で働いている現代人は、みずから考えることをせず、みずからの感情に問いかけることもなく、思考停止した状態で「上から言われたからそうした」と機械的にものごとを処理していこうとする。それこそがハンナ・アーレントのいう「凡庸な悪](The Banality of Evil)を生み出し、そういう悪のほうが、わたしたちが引き合いに出す『悪魔』などより、ほんとうは、はるかに恐ろしいものなのだ、と彼女は考えました。
なぜなら、その「凡庸な悪」は、映画『エクソシスト』などに登場する悪魔と呼ばれる存在とはちがって、組織としての悪なので、そのなかにいて、その組織の考え方に頭の染まった個人は、自分の行った残虐行為にたいして罪の意識すら抱いていない場合が多いのです。
つまり、だれでもがみんな「悪魔」になれますし、そうなったことにすら気づかないでいれるのです。
そのことがいちばん恐ろしいことなのです、と彼女は述べています。
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お酒は痛み止め。
わたしが女学院に通っていたころ、よく耳にしたことがあります。
戦争からもどってきた方たちがアルコール中毒になるのは、痛み止めのかわりにお酒を飲むからだ、と。
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女子供は生贄(いけにえ)みたいなもの?
パワー(power)という英語には「腕力」や「能力」という意味だけではなくて、「破壊力」や「権力」という意味があります。
「権力」という意味で使われる場合のわかりやすい例には、ご存知のパワー・ハラスメント(パワハラ)ということばがあります。
それとは別に、もっと直接的な腕力(パワー)をふるわれたら、わたしたち女(メス)という生き物には出る幕もありません。子供たちもおなじです。男(オス)という生き物がそなえている体力と腕力には、ほとんどの場合、勝ち目がないからです。
いまでは女性兵士があたりまえになってきましたが、それでも数人の男性たちに囲まれたら、わたしたち女性は、なんとなく潜在的な恐怖感をおぼえる、ということばにウソはないような気がします。
夏のビーチで遊んでいるときとは状況がちがうから、ということばも、たぶん、まちがっているとおもいます。
たとえ、砂浜で焚き火をかこむパーティ気分の夜でも、酔っぱらった数人の男性からつきまとわれたり、暗がりにつれていかれたりしたら、それがたとえ顔見知りのひとたちであったとしても、ほとんどの女性は、ひといきに酔いがさめてしまうような不安感と恐怖感をいだくはずです。
それは、単純に、体の大きさと筋力の差からきているとおもいます。
なにをどうしても勝てそうにないことが予想できるからです。
それを感じない女の子は、たぶん防衛本能が欠如しているとしかおもえませんし、まさにその能力を眠らせるために、男性たちは女の子にお酒を飲ませたがるのだとおもいます。
たとえ相手が小柄で細身の男性であったとしても、こちらがよほど鍛えていなければ、女性にとってはやはりパワフルな相手なのです。
ですから、女は、筋力のかわりに頭脳と色気で、そういう危機的状況を乗りきろうとしてきたのかもしれません。
ある意味、セクシーなふるまいも、色香にあふれたしぐさも、また、女が学ぶ誘惑術も、すべては防衛本能のひとつなのではないかとおもっています。
戦争になったら玩具のようにもてあそばれ、犯されて、殺されて、汚れたタオルのように捨てられるのはたいてい女性ですし、経済が崩壊して職業がなくなった国で女性が生きていこうとしたら、好きでもない男性に媚(こび)を売って安全と経済的安定を勝ちとるか、売春によって日々の糧(かて)を得るしかない、ということは歴史的に見ても明らかなことで、いまさら世界最大の国際人権NGOの『アムネスティ・インターナショナル』による強姦と虐殺についての報告を読む必要すらないのかもしれません。
もちろん、そんな母親や姉や妹を守ろうとする子供たちなどは、生まれたばかりの子猫を踏みつぶすようにして殺害されてきました。
戦時下の社会において、女子供(おんなこども)は、部族の「生贄」(いけにえ)みたいなものなのかもしれません。
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銃弾を受けたときに体に起こること。
叔父の友人で、太平洋戦争当時、南方作戦(マレー、フィリピン、シンガポールなど)に参加して、密林のなかで戦った方がおられて、14、5歳のころに、なんどかお会いしたことがありました。
敵軍のライフルの銃弾を太ももに受けたらしいのですが、それが大動脈のすぐ近くに埋まっているので、手術をするのが危険だとみられて、そのままになっているとおっしゃっていました。
眉を八の字にして笑う、スズキのお刺身が大好きな、とても穏やかな方でした。
ただ、年末年始の挨拶まわりなどにつきあわされて、その方の家を訪ねたときなど、きみもちょっと飲まないかと誘われて困りました。
奥さまのことばだと、寒くなるにしたがって、古傷と、埋まっている銃弾からくる痛みがひどくなるので、お酒でごまかさなくてはいけなかったらしく、夕食がはじまるすこし前から「おとうさん、はい、どうぞ」と奥さまが燗(かん)をつけた2合の徳利(とっくり)をもってこられて、それをかたむけながら、叔父とふたりでお酒を飲み交わしていたのをおもいだします。
「銃弾を受けたときの衝撃はすごかったね。体が爆発したみたいな感じだったかな。高圧電流に感電した瞬間は、あんな感じなのかな、なんて、うんと後になって想像してみたこともありますよ。とにかく、あのときは、じっさい、なにが起こったのかさっぱりわからなかった。すぐ近くに迫撃砲の砲弾が落ちて、そいつにやられたのだと思いました。あぁやられた、てね。プロ野球選手に、重たい木のバットで、この太ももをおもいきり殴りつけられたら、あんな感じなんでしょうかね。泥濘(ぬかるみ)のなかでしたよ。右の足首にロープをまかれて、それを軽トラックにつながれ、そのまま後方にグイッと引っぱられたような感じで、前のめりにぶったおれてね。そのままぬかるみに顔がうずまって息ができないもんだから、なんとか頭をもちあげようとするんだけど、ショック状態ていうのか、身体中の力が抜けちゃって、全身が痺れたようになってるもんだから、ぬかるみのなかで芋虫(いもむし)みたいにうごめいてました。泥でなにも見えないし、口のなかも泥だらけで息ができないし…。とにかく痛みはまったく感じなかったなぁ。ようやく頭をあげることができて息をしたら、下半身がごっそりなくなってしまった感じでね。こいつはいけない、砲撃で両足が吹っ飛んだんじゃないかと心配になりました。親からさずかった大切な両足をなくして内地(母国)にもどったら大恥だ、なんてあわててたかな。足のほうをさぐったら、足そのものはなにも感じないんだけど、手のひらにはちゃんと足を感じてるもんだから、あぁよかった、どうも足はちゃんとあるみたいだ、と、一瞬、ホッとしたのをおぼえてます。それまでの経験で、ライフルだと、弾が入ったところに、小指がはいるくらいの穴があいてることはわかってたから、必死になって穴をさがしました。ぬかるみのなかだったんで、どこをやられたのかもわからないし、なかなか穴が見つからなくてね。そのうち太もものまんなかあたりに弾の入った穴を見つけたんですよ。一瞬、うれしくなりましたね。ところが、そのあとがいけない。弾がうまくぬけると、弾が出たところは、けっこうな肉をもっていかれるんだけど、こんどは太ももの裏をさぐっても、そいつが見つからないんだ。太ももの、このちょうど裏のあたりに、指2、3本くらいの穴があいてるはずなんだけど、それが、どこにもなくてね、ああ、こりゃダメだ、とおもいました。弾が入ったまま残っちゃうと壊疽(えそ)になってしまうからね。そうやって死んでいった仲間をもう何人も見ていたし、もちろん、ペニシリン(抗生剤)なんて贅沢(ぜいたく)なものはありませんし…。わたしを助けるために、ぬかるみのなかをはいつくばって匍匐前進(ほふくぜんしん)してきた仲間に引きずられながら、マラリアでやられる前に壊疽でいっちゃうかもしれんな、なんて考えてましたよ。でも、ほら、いまでもこうしてピンピンに生きてますでしょ? 死ぬ人は、一発の弾を腹に受けただけでもあっけなく死んじゃうし、こめかみに銃弾を受けても、ちゃんと生き残る人もいるし、ま、ひとそれぞれがもっている運みたいなもんかもしれないね。それはそうと、南方の密林のなかで、蛇はうまかったな。でも、あれだけひどい空腹とたたかっている最中でも、わたしは、猿だけは、どうしても食えませんでした。バラして焼いても、あの人間そっくりの姿が目に残っててね。あれはさすがにきつかった。それでも、戦局が悪くなってくると、自分の体の傷口にわいた蛆虫(うじむし)をつまんでは、一所懸命に口に運んでいた仲間がいてね。とにかく、敵と戦う前に、飢餓とマラリアにやられて死んでいった戦友のほうが多かったです」
ところで、奥さまが、別れぎわに、ポツリとおっしゃっていました。
「そういえば、あの人が、あんなふうに当時の思い出を語りはじめるのには、ずいぶん時間がかかったのよ。あの戦争が終わってから20年以上の月日が必要だった。それまではずっと怒ったように無口でね。戦争のことについてはなにも話してくれないの。20年以上ものあいだ貝のように口をつぐんで黙々と会社へ出かけていました」
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