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  • 執筆者の写真香月葉子

【ワインカントリー】私の前世は日本人 | 白人女性アンナの告白

更新日:2023年9月2日

 アメリカ人の家族にはなんどか招かれたことがあった。

 サンフランシスコの対岸にあるバークレー市に住んでいるときで、ナパに移ってくる前のことだった。


 はじめて招かれたころはうれしくて興奮もしたけれど、すこし冷静になってふりかえってみると、相手の夫妻は、もしかしたら白人であるという優越感を満たすために、わざわざわたしたち東洋人の留学生カップルを招いてくれたのではないかとおもえるような、どことなくこちらを見下しているかのような会話があって、内心、不愉快になることもあった。


 たとえば白人の奥さんから「日本の家庭にはオーブンてあるのかしら?」とたずねられたとき、「ええ、もちろんです。母はオーブン料理が好みなので」とこたえると、とつぜん苦虫をかみつぶしたような憎々しげな顔つきをしたので、ちょっとこわくなった。

 ご主人から聞かされて作りあげていた人物像とちがっていたため、自分の想像力に裏切られた気がした。


 招いてくれた夫妻にはそういうタイプが多く、ボーンチャイナで紅茶をいれたあと、アメリカを野蛮な国だと批判しながら、鼻高々に英国の文化について語りはじめる奥様は、なぜかオーストラリア出身のひとが多かった。

 オーストラリア生まれで、英国人の男性と結婚し、アメリカで生活している人たちだ。

 彼らはわたしには見えない人生のむつかしさを抱えていたのかもしれない。


 けれどもアンナはちがっていた、かなりちがっていた。


 わたしはね、実は日本女性の生まれ変わりなの。両親はオランダ系移民の2世だから、こんな白人の顔をしてるけど…。

 じつはね、6歳の時、サンフランシスコの叔母の家に行ったときのことだけど、母が言うには、居間のアップライトピアノを見つけたとたんピアノに駈けよって、弾きだしたらしいのよ。

 ピアノを習ったこともない娘がピアノを弾きだすし、聞いたこともないメロディーだったし、しかも叔母たちの知らないことばで歌まで歌い出したから、みんなびっくり仰天したんだって。

 わたしは彼女たちのリアクションが怖くなったせいか庭に飛び出して木陰に隠れたの。そのあとは家路のクルマの中でも黙りこくってた。

 母もそのことについては尋ねようともしなかったし…。


 じきに小学校に入ったわたしは、ピアノを見つけるたびに、また同じことをやってしまって、母はけっきょく校長に呼び出されたわ。


 あなたの娘が、敵国の、真珠湾攻撃をした国の歌を歌えるのは、あなたが教えたからなのだろうって…。

 でも、そんなことを追及されても母には答えようがないし、わたし自身、自分にも理解できないことが自分に起きていたのだからどうしようもなかった。


 とにかく、学校のみんなから白い目で見られたくなかったし、再婚したばかりの母を窮地におとしいれたくなかったから、絶対に二度と歌わないことに決めたの。

 でもね、困ったことに、そのころから、不思議な夢を見るようになって…。


 夢のなかのわたしは病院のベッドにいるらしくて、白いナースキャップをかむった看護婦さんや数人の人たちがわたしをじっと見下ろしてるの。

 きっと入院してたのね。

 セーラー服姿の女の子たちにかこまれている夢を見たこともあるわ。

 一度、母にその夢のことを話しはじめたことがあったのだけど、そんな話は二度と聞きたくないって拒否されたの。

 何度も何度も同じ夢を見たけれど、けっきょく誰にも話せなかった。


 そのうち、学校の図書館である本を手にとって読みはじめたら、なぜか、はじめて出会った本なのに、手にとるようにその内容がわかってしまって、そのことに驚愕したわ。

『嵐が丘』という本だった。

 それから毎日のように図書館に通って文学作品を手当たり次第にピックアップしては、どこまで内容が見えてくるのか試しはじめたの。とても刺激的な体験だった。そうしながらも、わたしはいったい誰なんだろうって悩むことのほうが多かったけどね。


 ところでわたしは箸(chopsticks)を上手に使えるのよ。あれはたしか家族でサンフランシスコのチャイナタウンのレストランで食事した時のことだった。そこで義理の父親を驚かせたことがあるの。だって、箸を手にしたのは初めてだったのにもかかわらず、ごく自然に使うことができたんだもの。

 ますます『わたしは日本人なんだ』って強く思うようになったの。口には絶対に出せなかったことだけれどね。

 だって、学校の先生が言うとおり、当時は戦争中で、しかも日本はアメリカの敵国だったのだから…。

 でも、わたしにはわかっていた。

 きっと夢の中で見た病院は日本の病院だったのよ。

 とはいっても、不思議なことに、それからだんだんその夢も見なくなってしまったけれど…。


 そのころ、新しい父親と母親の間に子供が産まれたのね。ずっとひとりっ子だった私に、ようやく妹ができて、うれしかった。新しいお家に引っこしたせいもあったかもしれない。生活にいろいろな異変が起こって、そのせいで夢を見なくなったのだろうって、後年、思うようになった。


 でも、いまからちょうど7年前の夏の終わり、夫の仕事の関係ではじめてTokyoに行ったときに、ふたたび不思議な体験をしたの。

 ね、この写真を見て。

 皇居のお堀が写ってるでしょ?

 じつは通訳の男性ガイドさんが撮ってくれたの。

 綺麗な風景でしょ?

 ところが、ちょうどこれを撮影したあと、わたしはクラクラとめまいがして、その場にうずくまってしまったの。

 日本に来たのは初めてなのに、その皇居のお堀を何度も訪ねた過去があるみたいな、不思議な感覚におそわれたからよ。

 デジャヴの感覚っていうのかしら。

 わたしはしばらくじっと目を閉じてめまいが消え去るのを待っていたわ。

 

 で、夫がそろそろホテルにもどろうかってガイドさんに言ったちょうどそのときに、ドカーンってとんでもない音が聞こえてきて。

 まるで化学工場かなにかが爆発したみたいな音だった。

 そのうちパトカーや消防車がけたたましいサイレンの音をひびかせながら道を行き交いはじめたの。

 その夜わかったことなのだけれど、あれはテロ事件だったみたいね。

 いまでもハッキリとおぼえてるわ。

 1974年の8月30日のことだった。

 

 

 


1981年 秋 / ナパ




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