ナパカレッジで緒斗が知り合ったインドネシア出身のカーリーヘアの男性がジェフリーだった。
1970年代当時のサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルを思わせる顔立ちをしていた。
彼が財布から取り出して見せてくれた家族写真には、オランダ系の白人の父親と、インドネシア人の美しい母親と、小さなスーツを着せられた少年ジェフリーが両親にはさまれて映っていた。
写真のなかの彼は黒髪でアジア系の顔立ちをしていたので、おどろいたわたしがたずねると、彼の話では、成長するにつれて、髪は栗色からさらに明るい色へと変化し、顔立ちも高校生のころにはかなり白人っぽくなってきたという。
生物学の先生にたずねたら「おそら父方(ちちかた)がもっていた白人の潜在遺伝子が発動したんだとおもうよ」と言われたのだそうだ。
父親はインドネシアの大学で経済学を教えていると言っていた。
ジェフリーを愛してやまなかった母親が亡くなったあと、父親と折り合いのつかなくなった彼は、母親の弟にあたる叔父を頼ってアメリカに渡ってきた。
ただ、その叔父から金銭的な援助を受けていなかったため、アンダー・ザ・デスク(こっそり内緒)でクルマの整備士の仕事をしていた。
わたしたちと同じくF-1ビザ(学生ビザ)の所持者だったので、表向きには労働が許可されていなかったからだ。
彼はクルマが好きだった。いや、愛していた。クルマの話になると声がうわずってくるのですぐにわかった。子供の頃はレーサーになりたかったらしい。母方の祖父がインドネシアで自動車整備工場を持っていたせいで、物心(ものごころ)ついたころからそこが彼の遊び場になっていたのだそうだ。
そんな彼と緒斗が知りあったきっかけは、カレッジの駐車場でのみじかい会話からだった。
旧型のフォードマスタングに乗り込もうとするジェフリーに「すごいなぁ。そのマスタング、68年型だろ? 映画『ブリット』でスティーブマックイーンが乗ってたヤツだ」と緒斗が話しかけたところ、とつぜんジェフリーの顔が輝き、その映画の中でもっとも有名なサンフランシスコの街中でくりひろげられるカーチェイスシーンの話で盛り上がり、半時間も立ち話をして意気投合したところで、ジェフリーが緒斗を家まで送ってくれたのだ。
ボンネットのすきまにいたるまで磨き上げられたマスタングだった。
廃車になる寸前に、知り合いからタダ同然でもらい受けたらしい。
ジェフリーが生き返らせたのだ。
彼をアパートへ招き入れたわたしは、夕食にメキシカンライスを作り、父と大阪へ行ったときに観た『グラン・プリ』(1966)や女学院時代に女ともだちと観た『ル・マン』(1971)など、カーレースの話に夢中になったことをおぼえている。
それからジェフリーは、ほとんど月に1度はマスタングでわたしたちのアパートを訪れるようになった。
彼は猫好きでもあったので、わたしたち3人と、2匹の猫たちといっしょに、パティオでバーベキューを楽しんだ。
彼は猫に優しく、2匹の猫も、彼がやってくると、とてもうれしそうにするのだった。彼はまた猫を撮影するのも好きだったし、2匹の猫たちも、まるで撮影してくれとせがんでいるかのように、彼のふくらはぎに脇腹をこすりつけてまとわりつくのだ。2匹ともが尻尾をまっすぐに立ててよろこびをあらわしながら。
彼が一眼レフカメラをかまえるたびに、猫たちはふいに彫像のように動かなくなり、しかも、人間からすると、どうしても気取っているふうにしか見えないポーズをとるので、緒斗とわたしは苦笑せずにはいられなかった。
彼は白人の老女の家に間借りをしていた。
ナパという田舎町のメインストリートから2ブロック離れたところに、その家はあった。
あたりは街路樹で鬱蒼(うっそう)としていて、古い家ばかりが並んでいたせいか、その家も朽ちてしまいそうな気配があった。
ただ、裸電球の光だけが、まるで夕陽のように室内をあたたかく包みこんでいたし、居間に入ると、ソファや壁やカーテンからも、カビ臭さとはどこかちがう、すこし甘酸っぱい老女の匂いがこもっていた。
彼女の身の周りの世話をする代わりに家賃を払う必要がないのだ、とジェフリーは言っていた。
寝たきりというわけではなく、緒斗とわたしが訪ねた時には、わたしが焼いたブラウニーを、使い古して擦り切れたソファに腰かけたまま黙々と食べてくれ、緒斗が弾くピアノに耳を傾けてくれた。
何年ものあいだ誰にも触れられることのなかったピアノだったせいか、調律も狂っていて、ときおり抜ける音もあったけれど、老女は物静かにゆったりとメロディに合わせて首をふっていた。
居間の壁にはかなり大きな十字架がかけられていて、敬虔なクリスチャンのジェフリーは何の抵抗もなくその古い家に暮らしていたが、1年もたたないうちに家主のその老女が亡くなり、ジェフリーはその家から出なくてはいけなくなった。
そんなわけでしばらく仕事仲間の家に寝泊まりしていた彼が、夜更けにとつぜんわたしたちを訪ねてきたのだ。
興奮気味のジェフリーは「奇跡が起こったんだよ」と言った。
彼独特の、まるで額のあたりから出てくる裏声に近いような、軽やかでやさしい声だった。
わたしたちは彼の口から発せられたその〈ミラクル〉という言葉に後ずさりしそうになった。
「いったいどうしたの、ジェフリー?」
「これだよ、これ」
彼は財布からソシアルセキュリティカード(社会保障カード)を出してわたしたちに見せた。
カードの表にはわたしたちのソシアルセキュリティカードにあるような『NOT VALID FOR EMPLOYMENT』(雇用には無効)の記載がなかったのである。
奇跡がおこったというのはこのことだったのだ。
彼がカードを失くしたときに、再申請をしたら、このカードが送られてきたというのだ。彼はオランダ系のラストネームをもっていて、Wから始まる長ったらしいものだったが、そのスペルは正しく印刷されていた。きっと役所で何かの手ちがいが起きたのにちがいないけれど、それをわざわざ指摘して訂正してもらうつもりはないよ、とジェフリーは真剣な面持ちで語った。
「神さまがぼくのためにわざと手ちがいを起こさせたのにちがいないよ。おかげで堂々とアメリカで働けることになったんだから」
鼻筋の通ったカーリーヘアの彼は、ユダヤ系アメリカ人にしか見えなくて、ほんとうにアートガーファンクルにそっくりだった。
再申請したときに発生したミスのおかげで、彼はカード上はアメリカ人とおなじあつかいになり、移民局の目を気にしながら、こっそりと〈デスクの下〉で働かなくても良くなったのだ。
その夜、わたしたちは、ジェフリーの身に起こった〈奇跡〉を祝して、ナパワインで乾杯した。
F1学生ビザを必要としなくなった彼は、それからまもなくしてナパカレッジをやめ、オークランドに職を見つけて移り住んだ。
そんな彼を見送ったわたしたちも、その夏、まるで後を追うかのようにナパを去り、ふたたびオークランドに隣接している学生街のバークレーで暮らすことになった。
緒斗がカリフォルニア大学のバークレー校へ編入したからだ。
ジェフリーはわたしたちが新しく見つけたアパートにすぐさま訪ねてきてくれた。
猫をあやしながらジェフリーは、あの独特に軽やかでやさしい声で「じつは彼女ができたんだ」と告白した。
インドネシアの出身で年上の女性だと恥ずかしそうに言ったときの表情はいまでも忘れられない。
彼女はオークランド市のインドネシア料理店で働いていて、わたしたちに会いたがっているらしく、翌週にはジェフリーが迎えにきてくれて、そのレストランを訪ねることになった。
オークランドのダウンタウンの中心部にはメリット湖という塩水湖があり、まわりは散歩道のある公園になっているのだけれども、そのすぐそばに彼女の働いているレストランはあった。
陰翳(いんえい)のある微笑みが印象的な女性だった。
肩にとどく長さのストレートな黒髪には落ち着いた雰囲気があり、たしかに彼よりも五、六歳は年上に見えた。もしかしたらジェフリーは母親の面影を追っているのではないか、とも思った。いちど彼が見せてくれたことのある彼の母親の写真を思い起こしたからだ。
彼女は次から次へと料理を運んできてくれた。
緒斗もわたしもインドネシアの料理ははじめてだったので、ジェフリーがすべて選んでくれた。すべてがめずらしく、香辛料の利いた料理はとてもおいしかった。クロコダイルのステーキには独特の硬さがあって、あの日から、これを書いている今日まで、ワニの肉は食べたことがないので、たぶん、あの時の経験が、人生で最初で最後のものになりそうな予感はするけれど、ワニ肉を咀嚼(そしゃく)するわたしの顔を観察しながら、意味ありげに微笑んでいたジェフリーの、あの10歳児のように嬉しそうな笑顔が忘れられない。
あの時、彼はほんとうに幸せそうだった。
けれども、わたしは彼女の左手の薬指に光っている指輪が気になっていた。緒斗もそれに気がついているようだった。おそらく結婚指輪にちがいない。
もしかすると彼女には夫がいるのかも知れなかった。
それからひと月もしないうちにジェフリーから彼女と一緒に住みはじめたという連絡があった。わたしたちは中古で買ったフォードLTDを売ったあとだったので、彼女を連れて、わざわざマスタングでわたしたちのアパートをたずねてくれた彼に感謝した。
たがいにハグをしあったあと、すぐに気がついたのだが、彼女の薬指には指輪がなかった。
彼女にはアメリカ人で白人の夫がいて、結婚3年目に夫が失職したあと、住宅ローンの支払いができなくなり、ひとり暮らしの姑(しゅうとめ)の家に引っ越した。けれども、彼女をかばってくれていた舅(しゅうと)が死んだあと、その家庭は地獄と化したらしい。
舅が生きていたころでも、彼女がインドネシア人であるという理由で姑からさげすまれ、インドネシア料理を作ろうものなら、それがたとえ彼女の夫のリクエストであっても、いっさい口をつけず、捨てられてしまったのだそうだ。
また、そんな夫も、数ヶ月間は自分の母親の言動をたしなめるようなそぶりを見せてはいたが、彼女がレストランで働いて生活費を支払っているのにもかかわらず、自分の就職口が決まらないせいか、しだいに酒に溺れるようになり、姑とともに彼女に辛くあたるようになり、それを理由に離婚を望むと、こんどは暴力をふるうようになったという。
子供のころ、移民として、両親とともにアメリカにわたってきた彼女には、両親が他界したあと、すでに身を寄せるところがなかったのにもかかわらず、夫と姑は、ふたりしてそんな彼女をいじめるのだった。
職場から家に帰るのがほんとうに怖かった、と彼女は目を潤ませつつ語った。
そんな辛い日々を送っていた彼女がジェフリーと出会ったのは、インドネシア料理店のオーナーの車を整備したあとに、それを届けにきたのが彼だったからだという。
ジェフリーのほうは「彼女に一目惚れした」と言っていた。
彼女は「彼ほど優しい人にあったことがない」と言った。
離婚を決意したことを夫に告げると、夫は彼女に殴りかかり、「絶対に離婚はしないからな」と宣告したらしい。
その翌日、彼女は姑と夫が買い物に出かけたわずかな隙を狙って、トランク1個に大切なものをつめこみ、ジェフリーのもとに身を寄せたのだ。
わたしたちは、ふたりとともに、ほとんど眠らぬ長い夜を共にした。そして、明け方近く、ワインのアルコールも抜けたからと言いつつ、磨きぬかれたマスタングで、彼らはオークランドのアパートへもどっていった。
ところが、彼らが去って1時間もしないうちに、ジェフリーから電話がかかってきたのだ。
彼は動転していた。
ふたりがここで過ごしているあいだに彼らのアパートが荒らされたと言うのだ。彼女の衣類が引き裂かれていただけではなく、『殺してやる』という書き置きまでもが残されていたのだそうだ。
明らかに夫の仕業だわ、という彼女の叫び声がジェフリーの声の背後から聞こえてきた。
「あいつがレストランに押しかけ、おれのアパートの住所を聞き出したにちがいないんだ」
緒斗が警察を呼んだかと尋ねると、ジェフリーは早口で説明した。
「それはできないよ。もし警察にいろいろ調べられると、例の社会保障カードの手ちがいまでもがバレるおそれがあるし、そうなったら、もう、この国で働くことができなくなる。それが怖いんだ。だからといって、もしも、彼女があの家に連れもどされたら、命にかかわることになるのは目に見えてる。おれはなんとしてでも彼女を守らなくちゃ。だから彼女と一緒に逃げることにするよ。ほんとうに彼女と一緒にいるだけでいいんだ。あの社会保障カードさえあれば、またどこかで働けるし、とにかくあいつが追って来られないように、今から、すぐ、オークランドを出るよ」
そして電話は切れた。
わたしの胸はざわついた。あまりにも動悸がはげしくなっていたせいで、ほとんど吐きそうになったことをおぼえている。
ただ、彼らがこのアパートにいたせいで、オークランドのアパートで身の危険にあわなかったのは、ほんとうに〈奇跡〉だったのかもしれない。
それから1週間後、ジェフリーから、テキサスのモーテルに滞在しているとの電話があった。
ふたりともまだ仕事は見つかっていないそうだが、声は元気そうだった。
その年のクリスマスには彼らからクリスマスカードが届いた。
ヒューストンの大都市で暮らしているようだった。大都会の方が仕事も見つけやすいし、人々の群れにまぎれて暮らしやすいにちがいなかった。
けれどもそのカードを最後に彼らからは音信が途絶えた。
そういえば、ナパで暮らしていたころ、隣町のヴァレーホまで、SF映画『ボディスナッチャー』を、ジェフリーと緒斗の3人で観に行ったことがあった。
宇宙から地球を侵略しにきた未知の生命体に、人間の感情を抜き取られて、自分の友人や恋人や両親までもが別人になってしまうという内容の映画だったが、それを観終わったとき、映画館の外の青空の下で、ジェフリーがとつぜん怒り出したのだ。
「こんな馬鹿げた話はない」と。
緒斗はおどろいた顔に苦笑を浮かべつつ彼の肩をたたいたように記憶している。
「いったいどうしたんだよ。たんなるSF映画じゃないか」
「いいや、さっきのはあってはならない話だよ。ほんとうに馬鹿げた、ほんとうにくだらない、ほんとうにクズみたいな映画だ」と怒りはじめたのだ。
いったいあの映画のどこがそれほどジェフリーを怒らせたのかはわからなかったが、敬虔なクリスチャンのジェフリーは本気で怒りを露わにしたのだった。
1983年 夏 / バークレー
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