太平洋戦争を体験した母が言っていました。
夜になると米軍のB-29爆撃機が、数キロ先の造船所を攻撃しはじめて、その音がドーンドーンととどいてきたのだそうです。
下腹をゆさぶられるような音だったと言っていました。
防空壕のある近くの丘へ逃げて、そちらを見ると、遠くの夜闇が真昼のように光っては海峡を照らし出し、地上からはB-29を迎え撃つ日本軍の発射した曳光弾(えいこうだん)や対空砲火が夜空にむかって次から次へと放たれ、サーチライトと焼夷弾(しょういだん)の光のなかをかすかな弧を描きながら消えていくのが目に入ってきたと語っていました。
「まるで夢のなかの出来事みたいでね、花火みたいに華やかなのに、背筋が凍りつくほど恐ろしかった。そして、そう感じたとたん、あの下にはたくさんの人たちがいて、燃えさかる工場や街のなかを逃げまどい、B-29の1トン爆弾で一瞬に何十人ものひとびとが、身元もわからないくらいにバラバラに吹き飛ばされて殺されているのだと思い出した瞬間『ああっ』て息がつまってね、『ああっ』て頭のなかでだれかが叫ぶのが聞こえてね、わたしは、ただ、胸をおさえてうずくまるしかなかったのよ。『ああっ、今夜はこちらが攻撃されなくて良かった。ほんとうに、ごめんなさい』て」
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戦争とは:
①国家が他国に対し、自己の目的を達成するために、自国の武力を行使する闘争状態。
②戦争とは、兵力による国家間の闘争である。
つまり、「戦争」というのは国と国とのあいだで行われる戦いのことなのですね。
でも、この定義は2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を境に通用しなくなりました。
米国という国家が国際テロ組織というグループに宣戦布告をしたのですから。
その奇怪さに関して、アメリカ合衆国の議員たちや大手メディアはなんの疑問も投げかけず、「有識人」と言われるひとびとや大学の先生方までもが沈黙し、ウサーマ・ビン・ラーディンのアルカイーダとはなんのかかわりもないフセイン政権(米国そのものによって樹立された政権です)が槍玉にあげられて、米国による攻撃をうけたバクダッド市民をふくむ民間人11万人以上と多国籍軍の兵士4800人が犠牲となりました。
そして、いま、これを書いているこの瞬間も、元来はPLO(パレスティナ解放機構)の政治的立場を弱めるという目的で、イスラエル政府の援助をうけて結成された民族主義組織のハマスと、当のイスラエルという国が「戦争」をつづけていることは、みなさんもご存知の通りです。
つまり、地政学(geopoitics)の奇怪さは、こういうところにあらわれています。
たとえば、どこかの国の反英組織『○X▽』のテロ行為によって英国人観光客の数百人が虐殺されたという事件をうけ、英国という国(nation-state)が、その反英組織『○X▽』(group/organization/cult/cartel)をかくまっているとされる特定の国に対して宣戦布告をし、その国の首都を攻撃して、罪のない数万人にもおよぶ一般市民を殺害するというようなことが、いまでは当然のことになってしまったようです。
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伯母が言っていました。
白黒で撮影されたドキュメンタリーや戦争映画などを見ると、暗くて重たくてシリアスな印象をもつかもしれないけれど、戦争がはじまったころは、社会全体がね、ほんとうに明るくてにぎやかで元気いっぱいだった。
それ行けッ、ていう感じでね。
とくにわたしたち若い者はそうだったとおもうわ。
不安とか心配とかを打ち消すみたいにみんなといっしょになって元気をみなぎらせていた気がする。
出征する兵隊さんたちを見送るとき、なんだか、胸をしめつけられるようで、おもわず涙がこみあげてくるのと同時に、なぜか、あの兵隊さんたちの立派な姿に身が引き締まるような感動をおぼえて、わけのわからない愛しい感情がこみあげてきて、胸がいっぱいになって、みんなでパタパタと旗を振りつづけてた。
あの兵隊さんたちのためだったら、いつ身を捧げてもいいと思ってたような友人もいたくらい。
かわいそうだったのは、「赤紙」と呼ばれた召集令状(しょうしゅうれいじょう)がとどいて、自分の子供を送り出さなければいけなくなったお母さん方だった。
人ごみのなか、誇らしげにしている方もいたけど、両手で顔をおおって、背を丸めていた人もいて、そんなお母さん方の姿が、いまでも、この目に焼きついているもの。
でも、お国から、そういう悲しむ態度はよろしくない、ということで、出征兵士を見送るときは、涙を流さずに、さっそうとした態度でなければいけなかったのよ。
それからは毎日が戦争の話題で持ちきりになっていったわね。
お国が伝えてくれる「大本営発表」(だいほんえいはっぴょう)の戦況は、あの戦いで勝った、こんどの戦いでも勝った、どこどこの戦いでも勝利をおさめた、ていうニュースばかりで、まるでひいきのお相撲さんが勝ち続けていくみたいに、みんなと一緒に「わぁ〜ッ」て跳びあがってよろこんで、この調子で勝ちつづけたら、あともうすこしで鬼畜米英(きちくべいえい)を負かして戦争が終わり、みんながもどってくるにちがいない、て信じていたわ。
それが、だんだん、お骨がもどってくるようになってね。
昨日はあそこの角のどこどこさんの息子さんが戦死したらしい、今日は同じ町内のあのひとの息子さんがお骨になって帰ってきた、というのがパッとひろがってね。それが、日がたつにつれて増えてくるのよ。しかも、戦争が長くなるにつれて、白い布に包まれた小さな骨箱のなかには、骨のかわりに木片が入ってたとか、コロコロと鳴る小石が入ってた、とかいう話がひろまりはじめて、大本営発表ではあんなに勝ちつづけているのに、どうしてこんなにたくさんの兵隊さんが骨箱になって帰ってくるんだろうか、とふしぎでしかたがなかった。
もちろん、出征する兵隊さんに国旗をふっていたときとおなじで、戦死した息子さんの家族は、悲しんだりすることはゆるされなかった。
名誉の戦死をしたのだから、誉れ(ほまれ)であって、世間にたいして誇らしげにしていなければいけない、と言われていたし。
そのうち、お国から「金属類回収令」というのが出てね、家にある鉄鍋(てつなべ)などが取りあげられはじめたの。
聞いたところだと、お寺の鐘や鉄柵、マンホールだけじゃなくて、なんと鉄道の線路まではがして弾や手榴弾を作るために使われてたらしいわ。
そのころになると、大本営発表とはちがって、「この戦争はダメだ。この戦争は負ける」という噂がどこからともなくとどくようになってきてね。
いったいこの先どうなるんだろう、という不安と恐怖におしつぶされそうな日々だった。
戦争がはじまったころのあの明るさと元気がみなぎる感じは、ほんとうはとても恐ろしいことだったのではないかって、戦後、うんとあとになって気づいて、あのときのなんとも不思議な『みんなといっしょにのめりこんでいく感じ』を思い出すことがあった。
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戦争がはじまって最初に犠牲になるのは『真実』です。
The first casualty, when war comes, is truth.
この名言を残したのはカリフォルニア州知事と連邦上院議員をつとめたハイラム・ジョンソン氏(1866-1945)でした。
もとは古代ギリシャの三代悲劇詩人のひとりアイスキュロス(あとの2人はソフォクレスとエウリピデスです)のことばだとされています。
とくに現代の戦争はプロパガンダによる情報操作がすべてだと言われています。
大手メディアによるプロパガンダだけではなくてSNSを使った喧伝も重要な戦略のひとつだと言われていますので、見ること聞くことのほとんどすべてを疑ってみなければ、じっさいの戦況と先行きは読めないことがほとんどなのだそうです。
たとえば、喧嘩の仲裁に入った人が、それぞれの言い分に耳をかたむけると、どちらもどちらで、なにが原因で、なにがほんとうで、どちらが正しく、どちらがまちがっているのか、だんだんわからなってくるのと同じなのかもしれません。
ただ、「戦争」の場合は、そのふたり(国家vs国家もしくは特定の集団)を争わせることで巨万の富を得ることのできる方たちがいます。
たとえば、軍需産業にかかわっている武器製造会社の株主や、武器商人、そして「投機家」と呼ばれる億万長者の方たちです。
彼らは政治家にとっての命綱(いのちづな)である政治資金を提供してくれる献金者(donor)でもあります。そんな彼らの意見はとうぜん政治家たちの判断に影響をあたえますし、また同時に大手メディアの株主でもあり、スポンサーでもある彼らは、国の姿勢と方向と運命を左右する世論に多大な影響をあたえることもできます。
にもかかわらず、彼らは公的な職業についているわけではありませんし、メディアに顔を出しているような方たちでもありません。ですから彼らの名前が公表されることはありませんし、責任が追求されることもありません。
たとえば、ある大統領の判断によって押しすすめられた戦争のせいで、多くの命が失われたとしても、その責任は、あくまでも大統領自身、そして彼をサポートした政治家、および戦争をけしかけたメディア関係者にあるということで、閉ざされた扉の向こうで彼らにアドバイスをあたえた巨額の政治献金者や、軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレクス)から多額の利益を得ることのできる株主たちは、だれからも罰せられずに済むのです。
つまり、彼らがおよぼした影響力で地政学(geopolitics)や世界経済(world economy)の局面が変化しようとも、その責任を問われることはありません。ですから、駅のプラットフォームでつかみあいの喧嘩をしているふたりとはかなりちがうかもしれませんね。
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どこか遠くの国では今日も戦争がつづいているようです。
毎日何百人というひとびとが殺され、一夜にして家族全員を失った子供たちが瓦礫(がれき)のなかをさまよっているときに、明るいコンビニやデパ地下でおいしそうなアイスクリームを物色できるわたしは、もしかしたら「不思議の国」にいるのかもしれません。
蛍光灯の明るさのおかげで、まるで「闇」がないかのような、もしくは「影の部分」がないかのような、そんな気持ちにさせてもらえるのですけれど、どこか遠くの国が、おなじく遠くの国の「経済制裁」を受けているせいで、とつぜんお野菜の値段が3倍にはねあがったり、ガソリンの値段があがったりすることが、リアルタイムでつたわってくるということで、さらにふしぎな気持ちにつつまれてしまいます。
遠い国で、今日もたくさんの人たちが家族を失い、両親やわが子を殺されているせいで、キャベツやお茄子がこんな値段になっているという感覚が、あまりにもシュールレアリズムっぽくて、どうしても理解できないのです。
世界中が「戦争だらけ」なのに、それでも、アイスクリームがこんなに甘くておいしく感じられることが、ふしぎでたまりません。
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狙撃兵に撃たれた兵士が道のまんなかに倒れています。
その姿を森のなかからじっと見つめている仲間の兵士たちがいました。
「ピクリともしないな」
「そのほうがいい。うめき声と叫び声はたえられない」
助けに行って、森のなかへ連れもどしたくても、どうしてもそれができません。
なぜなら、遠く、橋の向こうからは、敵軍の戦車と、その背後に身を隠しながら前進する敵軍の歩兵たちが、ゆっくりとこちらへ向かってくるからです。
ぐったりと横たわった兵士は、生きているのか死んでいるのかすらわかりません。
ぐっしょりと濡れたバスタオルのように横たわっているだけです。
空はきれいに晴れわたっていて、彼らが息をひそめている森と、彼らの仲間の兵士が倒れている道までのあいだには、美しい花々が咲きほこる野原がひろがっていました。
でも、森をわたっていくさわやかな風の音に心をゆだねるよゆうはありません。
遠くから接近してくる戦車の低くひびく轟音(ごうおん)に兵士たちの耳はそばだち、鼓動は速まり、喉はカラカラに乾いて唾液をのみくだすことすらできません。
そのとき、野原を埋めつくした美しい花々を春風が優しくなでて、一群の蝶々が舞い上がり、まるで風に流されるようにしながら、倒れている兵士の背中に舞い降りたのです。
兵士のだれかがつぶやきました。
「あいつの体に、あんなにたくさんの蝶が集まってる。なにをやってるんだろう?」
「血を飲んでるんじゃないのか?」
「え?」
「そうか。蝶も血を飲むんだな」
「親父が言ってたよ。蝶は花の蜜を吸うだけじゃない、死体の血にも群がるんだって」
「つまり、あいつは、もう、ダメだって言いたいのか?」
「そんなつもりじゃ・・・」
「ま、どちらにしても、もう、どうしようもないよ」
「たとえ生きていたとしても、助けにいくのはムリだし、助けにいったら、こんどはおれたちも殺される」
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これは、自分のおぼつかない記憶をたよりに、わたしが勝手に書いたものです。
だれかの小説の一場面だったのか、それとも映画の一場面だったのか、それとも、そのふたつが混じりあって固まった記憶なのか、どうしても思い出せません。
こんなものを書くのはヘミングウェイにちがいない、とばかり思いこんでいましたけれど、たんなるわたしの思いこみで、まったくの誤りかもしれません。
ただ、撃たれた兵士と、彼を救うことができない仲間の兵士たちと、遠方から近づいてくる敵軍の脅威を描きながら、そんな緊迫した戦争のただなかでも、ヒトが作りあげた残酷な状況などにはおかまいなく、美しく晴れわたった空と、咲きほこる花々と、春風にゆれる野原の描写を入れるなんて、そんな目をもっているのは、きっと超一流の作家にちがいないと思いこんでいたのでしょう。
とにかく「蝶は死体の血を飲む」という事実が、わたしをおどろかせ、その場面がずっと記憶の壁にこびりついて消えませんでした。
けれども、「蝶は死体の血を飲む」という事実は、あるひとびとには衝撃かもしれませんが、ヒトが生み出した戦争という残酷で理不尽な出来事とはまるでちがうものです。それはたんなる自然の摂理(せつり)であって、わたしたちヒトが下す「気色が悪い」とか「残酷な生き物だ」というような価値判断は意味をなしません。
猫は高いところに跳びのりたい生き物。
サメはアシカに似たサーフボードを見ると齧りたくなる生き物。
ヒトを踏みつけて殺した象もそうですけれど、たとえヒトに襲いかかる熊やイノシシや猿などにしても、動物のほうに非はないのです。
彼らが生きている原生的自然の世界と、わたしたちヒトがつくりあげた街という人口的な世界とをへだてる、大切なボーダーラインのような役目を果たしてくれていた「里山」というものを、宅地造成などによってこわしてしまったせいで、彼らには行き場がなくなっているのでしょうし、ヒトの文明によって乱された自然環境のなかで食べものがすくなくなっているせいもあるのかもしれません。
どちらにしても、動物たちに非はないのです。
なぜなら彼らはわたしたちヒトが作り出した倫理や道徳やモラルを共有してはいませんし、わたしたちが作り出した法や規律を知ってはいないからです。
なにはともあれ、動物は「戦争」をしない生き物です。ヒトと同じように「戦争」の犠牲になることはあっても。
残酷で理不尽なのはヒトのほうであり、自然は、たとえそれがいかに不気味で恐ろしいものに見えたとしても、ただそれは「そのようにしてある」というだけのことなのです。
他の生き物の生態にたいしてグロテスクさや畏れを感じることがあったとしたら、それはあくまでもわたしたちの心の反映でしかないのだということを、「蝶は死体の血を飲む」という事実が教えてくれます。
サーファーをあつかった海外のドキュメンタリーをいくつか見たことがあるのですが、ハリウッド映画が好んで描きたがる復讐劇に登場する主人公とはまるでちがって、じっさいにサメに襲われた経験をもつサーファーの方たちが、口をそろえて「たしかに傷痕(きずあと)は残りましたが、わたしはサメを恨んではいません。彼らはそういう習性をもった生き物なのですから。彼らにとってはいたって自然な行動なのです」とおっしゃっているのを見て、深い感銘をうけたことをおぼえています。
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くりかえし思い出すことがあります。
もう母は亡くなりましたが、そういえば、彼女は、わたしが女学院に通っていたころだけではなく、大学生になったころ、また、アメリカで生活しているとき、そして帰国したあとも、ときどき「こんなに長く平和がつづくはずがないわ。なにも起こらなければいいけど…」と不安そうにつぶやくことがありました。
彼女は青春時代から父と一緒になるまでずっと戦争の渦にまきこまれてきた世代のひとりだったのです。
アメリカに渡ってしばらくたったころ、そのことにようやく気がついたわたしだった、というそのことを、このごろ、たびたび思い出すようになりました。
きっと遠い国々で起こっている戦争のニュースのせいなのでしょう。
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戦争はプロパガンダからはじまります。
そして、嘘で厚塗りしたそのプロパガンダという化粧が剥げ落ちて、戦争の素顔が明るみに出はじめるころになると、破壊と悲劇と損失で終わりをむかえるようです。
勝利した側にしても、終結してから時間がたつにつれて、こんどは後悔の念と罪の意識にくすぶる戦争責任論が燃えひろがり、じっさいに戦場を体験した方たちは深い心の傷を負って沈黙し、戦争を鼓舞した人たちはすばやく変身してなにごともなかったかのようにふるまい、傷ついて大切な人や財産を失った人々がそんな彼らの変わり身の早さに軽蔑や怒りをおぼえたりしているうちに、じっさいに戦場で戦った人たちと、安全な場所で戦争をけしかけた人たちの、その両者ともが、新たに生まれた世代によって忘れ去られ、過去の痛みが消えかかったころになると、ふたたび戦争によって大きな利益を得ることのできる人たちが、次の戦争の準備と計画を練りはじめ、政治家とメディアの両者を使いながらプロパガンダによる伏線を敷いてわたしたちを惑わし、どこかの国からこんなひどいことをされたという事実(事件)が作られたとたん、みんなが意識してもいなかった「愛国心」とやらをあおって、若い人たちを死地へ追いやるという流れになっているようです。
歴史はくりかえす、ということばはあまりにも良く出来すぎていて、すでに本来の意味を失っているのかもしれません。
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